リベラルという病 2017 9 17

「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)がアメリカを滅ぼす」
「言い換えれば、ポリティカル・コレクトネスがアメリカの活力を奪う」

 だからこそ、2016年の大統領選挙においては、
トランプ氏に当選してもらいたかったのでしょう。
 多くのアメリカ人は、
「トランプ氏だったら、ポリティカル・コレクトネスを粉砕してくれる」と思ったのでしょう。
 ヒラリー・クリントンさんは、
ポリティカル・コレクトネスの範囲内でしか発言ができなかった。
つまり、ヒラリーさんは、ポリティカル・コレクトネスという枠のなかで生きていた。
(ポリティカル・コレクトネスについては、
「本音で語ろう 2016 8 7」、「キリスト教ファースト 2017 1 21」を参照してください)
 日本にも、ポリティカル・コレクトネスの時代がありました。
それは、アメリカと戦争をしていた第二次世界大戦の時でした。
 私の祖父によると、当時は、
アメリカと戦っていましたので、
英語は、敵国の言葉ということで、
カタカナ言葉は、一切禁止となったのです。
 それは、政治の分野だけでなく、
日常的な分野にも、ポリティカル・コレクトネスが及んできたと言っていました。
 野球は、アメリカ(米国)から輸入されたスポーツ(運動競技)ですが、
当時でも、すっかり日本に定着した運動競技でしたので、
野球そのものを禁止するわけにはいかなかったのです。
 そういうわけで、戦争があっても、
米国の運動競技である野球を続けていたのですが、
問題は、競技を続ける最中に使う言葉に困ったそうです。
 ホームランは、「本塁打」と言い換えればよいのですが、
問題は、ピッチャーが、いや投手が投げる「球」が、
「ストライク」や「ボール」と言いたい時に、苦労したそうです。
「まっすぐ」や「はずれ」では、なんとも気合が入らなかったそうです。
 さて、現代のアメリカにおいては、
日本とは全く違う分野でポリティカル・コレクトネスという問題が起こっているのです。
 これは、政治分野や政治的な発言という分野だけでなく、
ありふれた日常的な分野まで、ポリティカル・コレクトネスが及んできていると言われます。
 たとえば、12月が近づいてくると、
キリスト教徒が多いアメリカでは、クリスマスが待ち遠しくなります。
あまりにも待ちくたびれて、つい「メリー・クリスマス」と言ってしまいそうになりますが、
これが、状況によっては、「ポリティカル・コレクトネス違反」になります。
 アメリカは、移民の国ですので、
多くの人種、多くの民族が住んでいるので、
宗教も、非常に多様なものとなっているからです。
 さて、現代のアメリカを知りたいならば、以下の本を読む必要があります。
この本には、日本のマスコミが全く伝えない「アメリカの現実」が詳しく書いてあります。
 私は、何度も書いていますが、
日本のマスコミ報道は、アメリカに関する報道については、
基本的に、アメリカのメディアの「翻訳」です。
そして、アメリカのメディアは、ほとんどが「リベラル」です。
だから、日本のマスコミの報道は、すべて「リベラル」になってしまいます。
 以下の本の著者は、「すごい」と思います。
日本のマスコミが、アメリカのメディアの「翻訳」に終始しているのに対して、
著者は、アメリカに住み込んで、アメリカ人と徹底的に議論したうえで、記事を書いています。
 書名 リベラルという病
 著者 山口 真由  新潮社

本音で語ろう 2016 8 7

「誰もが建前に疲れている」(クリント・イーストウッド)
 イーストウッド氏は、8月3日発売の「エスクワイア」誌のインタビューで、
「(誰かを怒らせたり、間違ったことをしたりしないように)みんな、とても注意深くなっている。
今は、そんなご機嫌取りの時代だ」とアメリカ社会の現状を問題視した。
(2016年8月5日の産経ニュース電子版から引用)

 アメリカでは、誰もが「political correctness問題」に疲れている。
そして、うんざりしている。
 だからこそ、トランプ氏の台頭を招いてしまった。
トランプ氏には、全く「political correctness」は通用しないし、
彼は、それを打破しているからである。

書名 トランプ革命
著者 あえば直道  双葉社

 早速、引用を始めましょう。
トランプ氏の自由奔放さは、マスコミの攻撃を恐れて、言いたいことも言えず、
「ポリティカル・コレクトネス」の枠の中でしか発言しない従来の政治家たちとの強烈な差別化になっている。
 そして、ポリティカル・コレクトネスを強制する無言の圧力に不満を持っている人たちは、
マスコミがトランプ氏を叩けば叩くほど、トランプ氏を支持するのだ。
(引用、以上)

キリスト教ファースト 2017 1 21

 アメリカでは、
ポリティカル・コレクトネス(政治的正当性)が行き過ぎて、
公的な場所では、「メリー・クリスマス」さえも言いにくい状況になっていますが、
私は、こうした動きに強く反対します。
 確かに、他の宗教への配慮を考えれば、
「メリー・クリスマス」と言うのを避けた方がよいということかもしれません。
このように考える人たちは、あくまでも善意から出発していると思っています。
 しかし、地獄への道は、善意で舗装されているのです。
こうした動きが、やがて無神論や唯物論を引き出すことになります。
つまり、これは、将来において、「反キリスト」の種子になっていくのです。
キリスト教国は、「反キリストの出現」に注意してください。
 純粋に善意で始めたことなのに、
実った果実は最悪だったということは、歴史上、よくあることです。
 政治とは、結果責任です。
出発点において善意だったとしても、
実った果実が、どうなるかを考えるべきです。
アメリカは、「キリスト教ファースト」で行くべきです。

書名 トランプ後の世界 The world after Donald Trump became President
著者 木村 太郎  ゴマブックス

 早速、この本から興味深いところを引用しましょう。
以下は、引用です。
 ポリティカル・コレクトネスとは、
直訳すると、「政治的正当性」となります。
 日本人にはわかりにくいかもしれませんが、
アメリカでは、「ポリティカル・コレクトネス」に反するとして、
公的な場所では、「メリー・クリスマス」さえも言いにくい状況になっているのです。
(アメリカは、人種のるつぼと言われ、いろいろな宗教があるからです)
 かわいそうなことに、
老人ホームでツリーを立てて、
クリスマスを祝おうとしても、それができない状況です。
これが、行き過ぎた「ポリティカル・コレクトネス」の現状です。
(引用、以上)






































































































































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